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なぜ私だけ?毒親が兄弟差別をする理由と体験談

毒親は兄弟全員にとって毒な場合もありますが、誰かひとりにだけ毒な場合もあります。

私には2つ下の妹がいますが、父も母も長女の私にだけ厳しく、私を支配しようとしていました。
後々、妹は母に捨てられたという感情を持つことになりますが、私が一緒に暮らしていた間の妹は本当に自由に暮らしていました。

だから妹が死ぬほど大嫌いだった。

この記事では自分の体験談をもとに、なぜ毒親は兄弟差別をするのかを分析してみます。

目次

毒親が兄弟差別をする理由

毒親によって理由は様々ですが、だいたい理不尽な理由でしかありません。子どもを差別するような親だから当たり前かもしれませんが。

私の親の場合は、「妹はすぐ反抗するから、うるさく言うのをやめた。でもあんたは言ったこと守るから厳しくした」だそうです。

約束を守らないと

  • 髪を引っ張って引きずり回される
  • 物が飛んでくる
  • 正座で無意味な説教1時間

こんなことをされるなら守るしかありません。妹は何をしてもDVを受けることはないので反抗することができただけです。

母はよく、「同じお腹から生まれてきたのに、なんでそんな憎しみあってるような喧嘩をするの?」と言っていましたが、今なら理由がわかります。

差別をされてきたから、妹に憎しみしか持てなかった。「お前の育て方のせいだよ」と言ってやりたい。

毒親による兄弟差別の体験談


父も母も厳しく自由がなかった姉(私)
いつも自由で好きなことをしてきた妹

親は私にはとにかく厳しかった。

  • 門限を1分でも過ぎると家に入った瞬間物が飛んでくる。
  • 内容のない説教を正座で1時間聞かされる。
  • 小学生までは、最後に「ケツ出せ」と言われお尻を叩かれて終わるのがいつものパターン。
  • 中学生になって学校の外出時間が7時になっても、私の門限は6時。
  • 高校生になって学校の外出時間が9時になっても、私の門限は7時。
  • 高校になってバイトを始めて、9時に帰って父にキレられる。
    ➩でもお小遣いをもらえないので、バイトをしないとやっていけない。
  • 行動範囲も限られていて、友達と遠出なんてできなかった。
  • 小学校のときは遊びに行く時は妹を連れて行けと必ず言われ、行動範囲がさらに狭くなる。
    ➩せっかく遊ぶ約束をしても行けないことや途中で帰ることがよくあった。


金がかかるから近場の高校へ行け、むしろ行かないで働いてもらいいぞと父に言われていた。
本当は遠くの高校へ行って家から出たかった。
もちろんそれは無理なので、隣の町の高校に行った。
電車代がかかるから最初は渋った父。でも世間体も気にする父は、母にも説得され地元で一番頭のいい学校に行くことで渋々納得をした。

こんな2人に育てられた私は人間が大嫌いになってしまった。集団行動が苦手で部活に入っても続かない。
その代わりにバイトを始めると、お小遣いをもらえなくなった。バイト代があるからいいでしょと。
そして学校の教材以外は全て自分で買わなきゃいけなくなった。言葉通り教材以外全て。

妹は部活に入り、お金がかかろうが文句を言われず、バイトが出来ないからと何でも買ってもらっていた。
妹は門限過ぎたからって怒られることもない。遠出も自由にしてた。

妹が父に殴られることも1年に1回くらい。
次女なので逃げるのも上手いからだと思う。
結局同じことをしても怒られるのはいつも私だけ。

いつも「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われ、どうしても譲れないときは「お姉ちゃんなのに」と言われる。
妹は譲ってもらえるのが当たり前で、たまに譲ると、「どっちがお姉ちゃんかわからないね」って私が言われる。

姉妹で親に対する感情は違う

親が私達に向ける態度が違ったので、私達が親に向ける感情も違います。

私は解毒されたあと、母には憎しみしかありませんでした。
いつも我慢してきた。
いつも母の望む答えを答えてきた。
そうしないと機嫌が悪くなるから。

妹の母へ対する感情
  • 妹にとって、母に言い返すのは当たり前のこと。
  • 妹は面倒くさい母の近くには住みたがらない。
  • 妹は、私にはない親に捨てられたというトラウマがある。
  • だけど一応大事な親だと思っている。

酒乱の父は子どもに興味がない。
だから私は遊んでる記憶より殴られた記憶のほうが多い。
私は父に対して憎しみしかなかった。

妹の父に対する感情

妹は殴られる私を見慣れていたので逃げるのが上手かった。ほとんど殴られたことがない。
だからか妹はそんな父親でも大事な家族と思えていた。

支配された長女と自由な次女との関係性

母は「妹はすぐ反抗するし、言っても聞かないから諦めて自由にした、でもあんたは言う事聞くから厳しくした」と言っていた。
でもそんな育て方されたお陰で、姉妹の仲は最悪だったし、私は妹が大嫌いだった。

でも離れて暮らすことで妹に問題があるのではなく親に問題があったと気付いた。
それからは仲良くなれた。


自由に育った妹は母に対しても自由に発言出来る。母はそんな妹に文句を言われても言い返すこともせず、機嫌が悪くなる程度。
だから反抗期だった時の妹は母の言う事を全く聞かなかった。仲は悪かったが、妹は私の話はきちんと聞いた。だから私が母の代わりにいろいろ言い聞かせてた。


妹は反抗出来ない私と母の関係が理解出来ない。だから「縁は切るな」と簡単に言う。
今も親子喧嘩しているだけで、姉ちゃんが頑固だから仲直りしないくらいにしか思っていない。

好きで姉になったわけではない

好きでお姉ちゃんになったわけじゃないってずっと思っていた。

何かあれば、お姉ちゃんなんだから、年上なんだからと文句ばかり言われてきた。
子育てして思うことは、妹と1歳半しか離れてない姉に我慢させるなんて不可能。
妹が2歳の時に私は3歳半。うちの子たちに置き換えても、我慢できる年齢じゃなかった。
生まれる順番は自分で決めれるものではない。自分で選んでいないことを理由に我慢させるのは理不尽すぎる。


自分がいなければ…
妹がいなければ…
こんな親じゃなければ…
そう思ってた。
家に自分の居場所がなかった。

救いは2人のじーちゃんが本当に可愛がってくれたこと。
初孫だったこともあるけど、母が妹にばかり甘いことをわかっていた母方のじーちゃんは特に、私を1番可愛がってくれた。
母は「姉ばかり甘やかすな」と言っていたけど、じーちゃんは「お前が妹ばかり甘やかすからだろ」と言ってくれていた。
まだ小学校に入る前の話だったけど、覚えている。
でもそのじーちゃんは小2の時に事故で突然亡くなった。
人生で一番辛かったかもしれない。
味方がいなくなった。

私はこの後から、高校に入るまで生きている意味がわからなくなってしまった。

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