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おまー
父は酒乱でDV・母は過干渉タイプの毒親。父は亡くなり、母とは絶縁。カウンセリングを受け、生きづらさを克服。

毒親と縁を切る理由|毒親との日記帳

私の母親は毒親です
それに気づいたのは、夫のモラハラが良くなり始めた頃になります
モラハラの事を調べているときに、毒親という言葉も知りました

この時は夫の母親が毒親だと気付いただけでした

夫にモラハラと自覚してもらうことで、私たち夫婦は喧嘩の回数も減り上手くいくようになっていました

目次

常に娘の事を把握していたい母親

ずっと、母の事はいい母親と思っていました
そしていつも一緒にいて仲のいい親子だったと思います

夫と上手くいっていないときは、母に愚痴を聞いてもらい、買い物に連れて行ってもらい気分転換していました
私もかなり母に依存していたのだと思います
母の休みの日は必ず一緒に買い物に行っていたし、そうじゃない日も母の家に行ったり、電話していることが多かった

でも夫と上手くいき始めると、気分転換に家から出る必要もなくなりました
そうなると母の家にも行く回数も減り、用事もないので電話もしなくなっていきました

母は「何してるの?」と毎日のように電話してくるようになりました
その頃、断捨離にハマっていた私は、電話に出ることが面倒になり3回に1回くらい気づかないふりをしていました
電話に出ても誰かの悪口か、私への嫌味ばかり
母の休みの日に予定を入れると「誰とどこへ行くの?」と詳細を聞いてきます
名前ではなく「友達」と言うと、「友達って誰?なんで教えてくれないの?」としつこく聞いてきます

たまに母が友達と出かけるというと、全然興味はないけど珍しいので「誰と?」と聞くと「あんたに関係ないしょ!!」とキレてくるくせに

だんだん母と関わりたくなくなり、電話に出なくなりました
そうすると、わざわざ家に来るのです
「なんで電話にでないの?」と。

母と会うことが苦痛になる

生まれて初めての経験でした
反抗期もなかった(というか反抗なんて出来なかった)私には母に会いたくないと思ったことがありませんでした
私の中では、父が酒乱で大変だったうえに癌になり働けなくなった父の分まで掛け持ちで仕事をして、私たちを一生懸命育ててくれた尊敬するべき母親でした
守ってくれている存在だとずっと思っていました

でもその頃は会っても嫌味、悪口、文句ばかりで話していても全く楽しくなくなっていました

私は人に興味がないので嫌いになるということがほとんどありません
興味がないからどうでもいい
私が今まで心底嫌いだと思ったのは父と夫の姉だけ。

この時、3人目の嫌いな人が母になっていました
顔を見ることが出来ないくらい会うことが苦痛になってしまったのです
たまに買い物に付き合わないとうるさいので行きますが、目を見て話すことが出来ません
話したくもないので態度も悪いのです
母はそんな私にイライラしていました


「あんた、お母さんが優しいうちにその態度やめなさいね」

小さいころからよく言われていたセリフです
母が悪くて私が怒っていても、私の機嫌が悪いと言ってきます
私は自分が悪くなくても、この言葉を言われると機嫌を直すしかありません
母がブチギレたら面倒だから

なぜ大人になってまでこのようなことを言われなくてはいけないのかわかりません
母の言動、行動が私をこのような態度にさせているのに

毒親だと気付き始める

私はこの頃、色々な事に気づき始めていました


確かに仕事を掛け持ちしていたのは事実だけど、その間家事をしていたのは中~高校生だった私だった
新聞配達とスーパーのパートを掛け持ちしていた母
新聞配達は私たち姉妹も手伝っていました
夜中の1時に起きて、私と妹は車の中で寝ながら交代で朝6時まで配達をする
なのに育ててやったと言われたことに違和感を覚えました
最低限のお金は出してくれたけど、私の中で育ててもらったというより勝手に育った印象。
家の事は私がほとんどの事をやっていたし、仕事だって手伝っていた。母になんでもやってもらっていたわけではない


そして父が入院していたころ、母は不倫をしていたので家に帰ってきていませんでした
なのに私は、今まで母は苦労してきたのだから好きにしたらいいと思っていました
その考えがおかしかったと、自分が母親になって気づき始めました

中一の子供がいる私には理解できません
まだ中学生の子供がいたのに毎日帰ってこないっておかしくない?
家事は私も妹も出来たので、困らないから気づかなったけど、ご飯も用意されていなかった

この何年か前に、母に200万円以上の借金があることが発覚していました
父が死んだあと、私は専門学校、妹は道外の学校に行かせてもらいましたが、家を売ったお金どこいった?
妹は学費のかからない学校だったし、生活費は全て奨学金だった
私は学費は出してもらったけど、生活費は奨学金だった
家を売ったお金は学費の何倍もあったはず
その時母は彼氏と同棲していて、家には高い物がいっぱいだった
旅行もよく行ってたし、毎回いいところに泊まっていたみたいだった(私たちには隠していたけどバレバレ)
どこにお金が消えて行ったのか、大人になって理解できたのです

母と距離をおいたことで、過去の母の様々な行動に疑問を持ち始めました

この人も毒親だったんだとやっと気付いたのです

母の優しさは、母自身の為だった

夫の親ばかり毒親だと思っていたけど、私の親の方がもっとひどいことにやっと気づきました

よく考えると、父に殴られる私を助けるときは決まって、このままではヤバいところまで殴られてから。
「あんたが余計な事言わなければ」といつも言っていたなと思い出しました
ずっと助けてくれていたと思っていたけど、違った

考えれば考えるほど、私に色々してくれていたのは、自分が満たされたいからだったんだと思うようになりました

やってあげたことで満たされる
感謝される、頼られることで満たされる
満たされたいからやっていただけ
子供の為だけを思ってやっていたわけではなかった

私も母に依存していたから成り立っていた関係だった
でも私が依存しなくなったので、この関係が崩れたのです

依存しなくなった私に焦った母は、たくさんの事に見返りを求めるようになりました

例えば母の日や誕生日など

夫の実家には2年に1回しか送らない代わりに、この年はガスコンロをプレゼントしました
母の日と父の日も込みで3万円弱です
母は自分との金額の差に文句を言い出しました
母には年に3回プレゼントしているんだから、トータルは母の方がもらっているのに

娘の幸せに嫉妬をするようになる

今まで共依存だった私と母。
お互いがお互いを必要としていたから上手くいっていました

でもそれが一方通行になると、母が私を追いかけている形になっていきました
追いかけている先に夫や子供達と上手く生活している私が見える

羨ましかったんだと思います
母が小さい時はそんな生活も出来なかったし、自分自身で幸せな家庭を築くことが出来なかったから。
でも自分の分身だと思っていた私が、幸せになっている
そしてそこに自分の居場所はない

羨ましいという気持ちは嫉妬に変わっていきました

「あんた達はいいね。あちこち行けて。お母さんはあんた達に色々やってやってるからお金ないのに」

もう我慢の限界が見えていました

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